見上げた空に 三日月
2020年7月、故郷である御嵩町に、吹きガラスの工房を構えました。
工房名は「 glass studio 三日月 」
地元の新聞や雑誌の方に、インタビューをしていただく機会があり、
必ず聞かれるのが、工房名 「 三日月 」の由来です。
01.花火師として
もともと私たちは、岐阜県の打ち上げ花火の会社に勤めていました。
空に輝く大きな光の華。儚くも心に響く花火の仕事は魅力的なものでした。
花火の製造は、様々な作業工程があり、熟練した職人がそれぞれの工程を分業しています。
大きな規模の花火大会になれば、沢山の人が関わっており、その一員として携われることに大きな達成感も感じていました。
同時に抱いていた想い。
それは、「技術を身に着け いずれは故郷で独立したい」というもの。
花火は、爆発物。工房の建設場所や取扱いに注意が必要なことも知っていました。
・個人でも始められる、手仕事品はないか。
・祖父母が使わなくなった小屋を利用できないか。
花火師として働きながら、各地の手工芸品を見て回る日々が続きました。
02.花火からガラスへ
そんな中、出会ったのが沖縄で作られている、吹きガラスのコップ。
「これも手作りできるんだ。どんな風に作られているのだろう。」
炎の中で、 一瞬一瞬 形と色を変え、蒸気をあげながら荒々しく手作りされるガラス。
作られる工程からは想像できないような、凛とした佇まいの仕上がり。
ガラスのもつ輝きと繊細で儚げなところに花火と通ずるものを感じました。
「自分もガラスを作れるようになりたい。」
その一心で家族を説得。1歳の長男と妻を連れ 沖縄へ移住を決めたのです。
03.ガラス職人の世界
沖縄の年配の方は、言葉のなまりが強く、コミュニケーションをとるのに苦労しました。
早く技術を身につけ独立したい。
そんな想いとは裏腹にガラス職人は「見て盗め」のとても厳しい世界でした。
想像していた以上に ガラスは難しく、とにかく手探りでもがいていました。
早く上達したくて夜遅くまで、練習や試作を毎日毎日繰り返していました。
「なかなか上達しない。いつになったら良いものが作れるようになるのだろう。」
とため息を付き、夜空を見上げると三日月が輝いていたことを今でも思い出します。
そんな修行時代の景色。ガラスを始めた頃の気持ちを忘れず大切にしたい。
いつかは満ちると信じて、一歩一歩。
そんな想いで「 三日月 」を工房名にしています。
三日月をモチーフにした作品を作りたいと思い、形になったのが三日月のゴブレット。
沖縄で学んだことの集大成として作ったものです。
▶ネットでの購入はこちらから
※ 三日月のゴブレットのオーダーについてお問合せをいただいております。
大変恐縮ですが、現在 三日月ゴブレットの受注制作はお受けしておりません。
制作の都度、ネットショップに補充し、InstagramまたはFacebookにてお知らせいたしますので、そちらをご確認下さいますよう、よろしくお願い致します。
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